上黒丸 座円 循環 曼荼羅 参 行雲流水上黒丸〇
約10㎞の円・森・道・上黒丸の山河・歩行アクション・地図・土・映像
チームKAMIKUROMARUコラボレーション展示
奥能登国際芸術祭2020+
石川県珠洲市・2021/09~11
ポートフォリオ
奥能登国際芸術祭2020 作品構想
2019/10/30:坂巻正美
奥能登・石川県珠洲市若山町の上黒丸を中心に自然・歴史・文化・風土・景観などを活かしたランドアートとパフォーマンスの作品プラン
作品展開場所:若山町上黒丸地域全集落(学校、神社、寺、家、田畑、森林、ため池、等)
作品タイトル:行雲流水上黒丸〇
サブタイトル:「上黒丸の円」・・・吉ヶ池の炭焼き小屋から北山の分教場へ貞太郎先生の道を探して
コンセプト・作品イメージ:
この作品は、仏教哲学者の鈴木大拙(貞太郎)が、1889年(明治22年)飯田小学校高等科の英語教師だった史実をもとに、黒丸集落で暮らしてきた住民と共に物語を創作し、そのフィクションを背景に作品構想・創作していくライブパフォーマンスによって形作られていくランドアート作品である。
禅の思想家として大成する以前の若き大拙は、珠洲に暮らした間、上黒丸・吉ヶ池集落にある吉祥寺に参禅した記録はないが、鎌倉時代末期創建の臨済宗の古刹であり、訪れた可能性はある。上黒丸住民とのワークショップ形式にて、大拙の珠洲滞在から想像力たくましくフィクションの物語を創作し、作品を住民と協同で構想していくことから始める作品となる。
例えば、季節は秋、若き鈴木大拙(貞太郎)は、休日を利用して上黒丸・吉ヶ池集落の吉祥寺を目指し、蛸島の家を出て勤め先の街中の飯田小学校から山村の若山町・上黒丸へと歩いた。地元の旧家・黒丸家で昼食をとった大拙は、上黒丸小学校で子供達に講話した後、吉ヶ池の吉祥寺へ参禅した。𠮷が池には、なじみの炭焼の翁が住んでいる。大拙の蛸島の家まで炭を届けてくれる爺さんだ。大拙が、吉ヶ池まで歩いてきた目的は、その翁の炭焼き小屋を訪ねたかったのだった。この翁は、炭の配達の度に、四季折々の山仕事の様子を大拙に聞かせてくれる。大拙は、吉ヶ池集落の吉祥寺での参禅を終えると、稲刈りが済み、はざがけの稲穂の畦道を抜け、紅葉の山道を辿り炭焼小屋を訪ねた。窯に火を入れる晩で、翁と炎を眺めながら小屋で酒を酌み交わした。翌朝、大拙は炭焼き小屋から江戸時代に前田の殿様が歩いたと言われる殿様街道を辿り、北山集落へと山道を一人散歩し、小屋へ戻ると翁は炭俵を馬車に積み終えていた。二人は飯田の町へと降りていった。上黒丸、吉ヶ池に暮らす薪炭業を営む円堂長吉さんは、祖父からこんな話を子供の頃、この小屋で聞いたことを思い出し、私に語ってくれたのである。
禅の思想を世界へ広めた鈴木大拙(貞太郎)は、上黒丸に、いくつかの円相を描き残していたらしい。その中でも、最も大きな円相が、上黒丸で描いたものだったと伝わる。どのような円相だったのか記録はなく、伝説の円相として消えたままである。今は、上黒丸集落の住人の記憶からも消え去り、全く手がかりがない。
この作品は、皆で創作した物語をもとに、架空の円相を探すアクションである。大拙は、いったいどのような円相を描いたのか?わずかな手がかりは、現在も実際に残る吉ヶ池の炭焼き小屋と上黒丸小学校北山冬季分校を結ぶ加賀藩時代に前田の殿様一行が通ったと言われる、殿様街道を大拙も歩いたという伝説のみである。
最近、吉ヶ池山中にある円堂長吉氏の炭焼き小屋で、美術家のN氏が古風な和紙片をみつけた。その紙片には、指で書いたであろうと思われる2枚各1本の粉炭の線が標されている。紙片は、破れ欠損した痕跡が見て取れる。欠損部分には、続きの線が描かれ擦れた片方の線で、2本の線が実は1本に結ばれた円が描かれていたのではないかと想像できる。
上黒丸集落の地図を眺めていたときに気づいたのだが、この線は、旧上黒丸北山分校を起点にこの紙片が発見された炭焼き小屋までの殿様街道の軌跡と形が重なるようなのだ。
以上、住民との対話の中から協同で考えだしていく物語創作の一例だが、このような形で上黒丸住民とのワークショップにて作品を創作する。今は消えて森や藪となってしまっている古い杣道・山道を住民の案内と記憶をたどりながら探しだし、再生した道を歩行によってドゥローイングしていくのが、作品「行雲流水上黒丸〇:『上黒丸の円』・・・吉ヶ池の炭焼き小屋から北山の分教場へ貞太郎先生の道を探して」である。
作品内容:
この作品は、上黒丸集落で暮らしてきた住民と共に作品を構想・創作し、今は消えて森となっている古い道を探し出し、その道を再生し、再生された道を歩くライブパフォーマンスによって大地に円相が形作られていくランドアート作品である。
〈作品制作の計画〉
- 若山町北山集落の旧上黒丸小学校冬季分校を起点に、吉ヶ池集落の炭焼き小屋へと続く殿様街道(加賀藩時代の前田のとの様が見聞に通った道)は、今は森と化し、道がないが、昭和の時代まで残っていた杣道を再生(藪を刈り払う)する。
- 旧上黒丸小中学校を起点に上黒丸10集落を辿りながら、山越え谷越え道なき道に分け入り、藪を刈り払い、かつての杣道を再生して歩くことで円相を描くランドアート作品となる。
- 旧上黒丸小中学校体育館の舞台上には、緞帳のように舞台天井から床までと左右袖いっぱいに拡大した上黒丸の地図を掲げ、歩行によって描かれていく日々の円相の様子が見ええるように、地図上に歩いた場所の土でペイントしていく。
- 体育館舞台下の引き出しを利用し、当該作品アクションのアーカイブ映像がガラスのテーブル越しに上映される。
- 直径約3㎞程度の円周約10㎞の草刈り、倒木撤去等の杣道再生後、参加者と道をたどる歩行ドゥローイングを会期中定期的に実施する。
- 展示会期中、旧北山分校前のボラ待ち櫓の田で育てた米で餅をつき、今回の作品・円相歩行アクションの途中で紅白の〇餅のもちまきを行う。
作品サイズ:
直径約3㎞・円周約10㎞
素材:
上黒丸地域の山森と道、映像、旧上黒丸小中学校体育館舞台、旧上黒丸小学校冬季北山分教所、奥能登国際芸術祭2017で制作のボラ待ち櫓、吉ヶ池の円堂長吉氏の炭焼き小屋等
制作方法:
①大拙の架空の円相話をもとに、上黒丸住民に円相を描く構想をワークショップにて実施
②旧上黒丸小中学校舞台の空間を当該作品アーカイブ展示室へと改修
③道なき森の古い杣道を探し、藪を借り払い、道を再生する。
2019/10/30:坂巻正美
行雲流水上黒丸〇・・・・円相歩行アクション
コロナ禍で会期延長された作品発表は、2021年秋に「奥能登国際芸術祭2020+」として開催への招待作家として参加となった。2019年の「奥能登国際芸術祭2020 作品構想」で記載した作品プランは、感染対策による行動制限のなか、完全な形ではないが、実施することができた。本作品は、一般参加者と歩くことによって作品が完成する仕組みだ。珠洲市の実行委員会事務局からは、市外・県外からの参加希望者について感染対策により受け付けられないことになった。また、極力少人数での実施を言い渡されるなど、なるべく上黒丸地区内・顔見知りの範囲だけの参加許可となった。
これは、森に消えた古道を再生し、参加者と円周10㎞の道のりを歩くことで、上黒丸地域の大地に円相を描く作品である。今は、森となってしまった嘗ての生活道とその脇道・山道・杣道・炭焼き小屋への道、昔々谷沿いに奥山深くまで開墾され、厳しいい奥能登の冬を生き延びるためだった年貢隠しの田畑やその畔道の痕跡を辿る。そこでは、地元で生まれ育った者のみが、爺さん・婆さん、先祖から聞いていた場所の話や子供のころ遊んだ森の景色を思い出しながら歩く時間の旅ともなった。この地区に縁のない顔見知り市内在住参加者もあり、目に見えている景色と昔の景色の違いについて、この場所で生まれ育った人たちに案内され対話しながら、かつての景色を想像できるように楽しんでもらえたようだ。おそらく、感染対策の無い状況であれば、前回の芸術祭実施の鯨談義で一度に100人を超える参加者があったように、もっと広く遠くから芸術祭に訪れた人々と一緒に、この場所の物語について、ここで暮らしてきた人達がガイドして歩くアクションの実施となったはずだ。
今は草藪や森となった場所で、かつて先祖たちが、どのような創造性を発揮しながらこの場所を生きていたのか、目の前に広がる田畑の痕跡や炭焼き跡から想像する小さな旅だ。「仲谷内さんのお祖母ちゃんは、吉ケ池集落から花嫁行列でこの道をたどって北山集落まで嫁に来た。」とか「昔はこの沢に橋が架かっていて郵便配達も通ってきた」とか、そんな物語は、聞かされなければ、今は道なき森の中なのだ。1周10㎞以上を歩き終え、スタート地点の旧上黒丸小学校の体育館へ戻れば、体育館の舞台上に掛けた大地図に上黒丸の土でその痕跡を染め、記念撮影となった。
大地と深くつながって生きてきた先祖たちの生活術と創造性の痕跡を見て歩く、そのためだけに藪をかき分け、かつての道を探索し、藪を刈り払い、倒木を撤去しながら再生した道がこの作品だ。今は忘れられ、静かに森に帰る隠し田や炭焼き跡を見ながら、その場所を現代社会の仕組みに照らして考えれば、舗装道路や電線・水道等々のインフラ整備は、限界集落へも都市生活に近い空間を運んでくれる。しかし、舗装道路を数歩、森へ向かって藪を分け入れば、現代のインフラ整備など及ばない場所が隣接している。その場所では、かつて先祖が豊かな暮らしへ向かって自由な創造性を発揮しながら、森の奥へと田畑を耕した痕跡がある。そこは、すぐそばに水が出、肥沃な日当たりのよい斜面があり、風邪をよけられ、田畑の耕作や炭焼きに適した場所だった。古人の自然環境を読む力を駆使して生きてきた痕跡が見られる。人も生態系の一部として巡る輪の中にいた時代だ。
便利で快適な生活インフラの背景にあるエネルギーの仕組みは、お金の文化の中で原発に象徴されるように、現代社会の破壊的な仕組みに組み込まれている。この場所では、嘗て原発誘致が叫ばれたが、反対運動によって消えた。生態地域主義という概念があるが、水と燃料、食料と住居といった生活の基本を生活空間である奥能登の山野河海の往来循環と共に生きてきたのが、この場所だったことを実感できた。この円相歩行アクション「行雲流水上黒丸〇」は、コロナ禍の感染対策制限の作品発表ではあったが、地元生活者と共に藪を刈り、道を探索・再生し、この場所を生きてきた先祖たちが残した田畑・杣道の痕跡としての歴史遺産を再発見して歩きながら、思い出し・話し・聞き・想像し・感じ・考える体験・実践する人と自然の連環の旅であった。
制作協力・参加協力:珠洲市若山町上黒丸10地区の人々
2021年秋:坂巻正美(当時のメモより2024/03再考修正)
上黒丸〇古道調査
2021年3月、作品「円相歩行アクション」ルート探索のため、地元協力者の案内で残雪の山中に藪となって見えない杣道・古い農道等、古道調査に入る。
上黒丸〇歩行アクション
上黒丸地域の山野・池沼・河川を越え1週約10㎞の円相を歩行して描くアクションの記録
北山地区から吉ケ池地区へ向かう旧杣道は森となり消えている。
このルート約3~4㎞は、道がわからない藪であり、倒木伐採と草刈をして再生し、そのその量集落入口に、町内会制作による「茅の輪」を設置した。
活動のミーティングのためのモニターテーブルには、進行中の作業記録動画が更新され、ガラス板の地図上にもルートとその耕作者たちの名前が刻まれている。
再生された古道を辿り、円相歩行アクション参加者は、歩き終えたルートを大地図上に上黒丸の土で染め記した。
図録
奥能登国際芸術祭2020+ (引用p148~p155)
北川フラム (監修), 奥能登国際芸術祭実行委員会 (編集)
発行:2022/5/31(奥能登国際芸術祭実行委員会)
発売:現代企画室
[This work was supported by JSPS KAKENHI Grant Number JP17K02345.]
Grant-in-Aid for Scientific Research(C)