上黒丸 北山 鯨組 2017
奥能登国際芸術祭2017
石川県・珠洲市
ポートフォリオ
上黒丸 北山 鯨組 2017
Kamikuromaru Kitayama A Whaling group 2017
2014年アート・アクション「鯨談義」を開始。このアクションは、里海・里山の幸を集落間で物々交換する古来の風習について、新たな意味を探り再生することである。その原型を求め、「ヨバレ(奥能登地域の宴を伴った社交)」の場で奥能登の伝統的生活文化の達人たちに車座でその生業について連続で講話いただいてきた。上げ浜式塩田の製塩業・炭焼き・ボラ待ち櫓漁・大敷網の鯨漁・田畑や山での生業等々、この場所で伝統的生活術を駆使して生きる達人たちが集い、その協力とともに空間を造形していく作品だ。「鯨=恵比寿・海の神」を鯨頭骨や鯨絵馬で、「米=大黒天・田の神・山の神」を種籾俵で象徴的に表現し、沿岸部から運び上げた木造伝馬船3艘を宝船に見立て、水を引いた休耕田に浮かべた。隣接の山林から切り出した長さ約20メートルの杉丸太で巨大なボラまち櫓を設置し、地元蛸島の漁師たちから寄贈された70旗の大漁旗を掲げ、奥能登沖に浮かぶ海人漁の島から海産物の行商姿を演出するアクションとともに里海と里山を結ぶ交流の場再生を試みた。
In 2014, the artist began a “whale sermon” which explores a new meaning and reproduces the old custom of exchanges bounties of the sea and mountains amongst villages. The artist set up a place for “yobare” (inviting friends and quittances to home and serve feast) in search for the original form of such custom. Conveying the “whale as an Ebisu” represented by the skull or ema (votive picture) of a whale, and “rice as Daikokuten (god of wealth) and God of rice field” represented by seed paddy straw bag, the artist brought up three wooden sculling boats from the beach, reimagined them as treasure boats, filled a disused rice field with water, and floated them. He harvested Japanese cedar from neighbouring mountains, made logs, and set up a huge “bora-machi-yagura” (a scaffold for fisherman to watch out for bora, mullet fish), flew 70 tairyo-bata (flags signifying a good catch), and reproduced the place of exchange between satoumi (the sea) and satoyama (mountains).
ワークショップ・イベント
「上黒丸・鯨談義2017」9/10(前期), 10/22(後期)地産食材の振る舞いや、「ヨバレ」の善を設えた車座談義
Workshop・event
“Kamikuromaru whale sermon” 10 Sep (the first-half of the festival), 22 Oct (the latter half of the festival) : A round table sermon over the feast of local delicacies and special meal of Yobare.
素材
水田、建物、杉丸太、大漁旗、伝馬船、漁具、鯨頭骨、俵、蜜蝋、蜂蜜、絵馬写真、他
Materials
Rice field, structure, cedar logs, sculling boats, fishing equipment, candle, honey, photos of votive pictures and more
助成:MEXT/JSPS KAKENHI Grant Number JP17K02345
協力(寄贈、貸与、技術、知識、労力 他):珠洲市・能登町・穴水町・輪島市の関係各位
Grant: MEXT/JSPS KAKENHI Grant Number JP17K02345
Co-operation (donations, lending, technical support, knowledge, labours and more): People from Suzu-city, Noto-machi, Anamizu-machi, and Wajima-city
2024/01: 加筆修正・奥能登国際芸術祭2017図録より引用
上黒丸 北山 鯨組 2017
2014年に、旧上黒丸小学校北山冬季分教場(1982年閉校)でのアートアクション「鯨談義」を開始しました。そしてこの展覧会の前年2016年の冬・第二回アートアクション「鯨談義」は、縄文時代から変わらぬ関係とも言える海と山の集落間の物々交換を話題に、今も上黒丸に続く話として花が咲き、賑やかな会となりました。それは、大きな座礁鯨を山間部の村落までも含めて分け合ったり、輪島・舳倉島の海人による魚介類・粉糠漬け等の行商、沿岸でとれた魚や塩を山間・棚田の米と交換したりの話題でした。里海・里山の伝統的生業から様々な話題が飛び出す車座談義となり、海の幸と山の幸が持ち寄り振る舞われた料理に塩・鯨肉・餅といった地産食材の共演「ヨバレ」の宴ともなりました。
この時の「鯨談義」では、縄文の昔のように山里の上黒丸10集落に「鯨=恵比寿(海の神)」と「米=大黒天≒田の神(山の神)」を奉りあうような賑やかな交流の場ができ、今回の発表へと繋がっていきます。
奥能登沿岸には、鯨漁とその絵馬や木造船、ボラまち櫓、海人(あま)漁など、日本海への突端で縄文から続く採取・交換の伝統的生活が今に伝えられています。珠洲の漁撈文化はもとより、上黒丸・北山集落の休耕田(畦が奥能登の形をしている)を海に見立て、奥能登・外浦・輪島・舳倉島(海人(あま)のサバやイワシの粉(こ)糠(んか)漬(づけ)の行商アクション)から内浦・能登町(大敷網漁の鯨捕獲)・穴水町(ボラ待ち櫓漁)まで、漁村の伝統的な生業の風景を造形素材として海を山へと持ってくる空間を造形しました。この空間で行う「鯨談義」のアクションと共に、遠い昔から継承されてきた物々交換の交流・この場所を生きる為の技術・自由な創造性、それらを作品表現として再創造し、その意味について探っていきたいと思います。鑑賞の方々にとっては、この作品とアクションへの参加によって、この場所の歴史とともに継承されてきた伝統的生活術の実践とその知恵が目の前で開かれるのを見て体験することになります。
◆旧上黒丸小学校冬季分教所室内展示について:
鯨絵奉納額写真※1)と木造の伝馬船※2)を蜜蝋※3)で満たし、鯨頭骨※4)に日本ミツバチの蜂蜜※5)を流し、種籾の米俵※6)を使用したインスタレーション作品です。
稲作と米俵に象徴される田の神が漁神の恵比寿鯨を里海から里山へ招くイメージで造形しました。失われつつある里山・里海の伝統文化として継承されてきた知恵と技、その生業と生活術と共に培われてきた創造性を現代にどのように再生できるのか?そんなことを考えたり想像したりする空間として設えました。
※1)鯨絵奉納額写真(能登町・神目神社と日吉神社)
※2)伝馬船(市内・仁江地区・皆戸昭利様寄贈)
※3)蜜蝋(ミツバチの巣を溶かして流したもの)
※4)鯨頭骨(能登町・矢波・大敷網漁師・辻口重秋様、同町・鵜川地区の漁師さん達の協力)
※5)蜂蜜(市内・北山地区・仲谷内正子様寄贈。ミツバチ文化誌には蜂蜜は再生の象徴とも)
※6)米俵(市内・上黒丸地区・平野長作様作成協力)
◆野外展示について:
穴水のボラ待ち櫓※1)は、江戸時代まで遡る記録があるそうです。70旗を超える大漁旗は、市内・外浦・内浦の漁師さん達からの寄贈です。伝馬船※2)は木造ですが、今は作る人も居なくなりました。引砂の伝馬船*²⁾は、市内・狼煙地区の船大工・先代の新さんの最後の船だそうです。9月10日の「鯨談義」アクションでは、輪島からリヤカー行商の海人・女衆が到着し、烏帽子・裃・袴姿の作者と赤褌を締めた若衆二人と共に櫓に登って口上と共に「北山鯨唄」※3)を豊作・豊漁の祝いを模して謡うところから始めます。
芸術祭のテーマでもある奥能登・外浦・内浦の岬巡りは、北山集落の休耕田の畦の形が能登半島先端部の形をトレースし、陸と海を反転する風景として巡ることができるように造形しました。輪島・舳倉島に位置する黒い鯨のようなセイマンドーム(竹川大介と野研)作品から外浦を巡り杉の植え込みを狼煙灯台に見立て畦を分教場へ向かえば、穴水のボラまち櫓が見えてきます。分教場の中では、海神・恵比寿様(鯨頭骨)・山神・田の神様(種籾俵)が、宝船の上で向き合っているような設えに出会えます。
奥能登立体曼荼羅をどうぞ巡礼ください。
※1)ボラ待ち櫓(穴水町・中居地区・松村政揮様指導)
※2)伝馬船(穴水町・辻野六郎様、市内・引砂・酒井様寄贈)
※3)「北山鯨唄」(各地で伝統捕鯨のアートリサーチにて山口県通の鯨唄に出会い、それを元唄に奥能登北山集落を舞台にした替え唄とした)
2017/09/03:坂巻正美(2024/03加筆修正)
上黒丸 北山 鯨組 2017:鯨談義前編アクション
鯨談義2017前編
会場:珠洲市若山町北山地区小家勇二邸納屋
「上黒丸 北山 鯨組」作品部分ボラ待ち櫓の前
時間:10時30分~夕方まで
宇出鯨のお刺身とお赤飯、お茶を用意してお待ちしております。
10時30分:ボラ待ち櫓上から歓迎の祝い唄「鯨唄」を裃・袴・烏帽子姿の作者と赤褌若衆の伊藤圭吾・鎌田隼人(北九州市立大学人類学研究室野研)
「北山鯨唄」
祝目出度や若松様よ 枝も栄える葉もしげる 竹になりたや薬師の竹に
北山栄えるしるしの竹よ ボラ待ち櫓に網くりかけて 恵比寿鯨や福俵
宝舟から網うち鍬うち大漁豊穣 いいじ北山
(山口県通・鯨唄の節に北山集落の景色を重ねた替え唄として櫓上で謡う)
11時~12時:粉糠漬引き売り「奥能登曼荼羅巡礼」(ボラ待ち櫓田圃の畦をぐるりと巡り歩き、会場にて作品を見ながら談義開始)
12時~14時:ホーメイ演奏
その後夕方まで
- 「ボラ待ち櫓の話」穴水町牡蠣養殖・松村政揮
- 「奥能登の鯨」能登町矢波大敷網網元・辻口重秋
- 「南の島のイルカ漁」北九州市立大学人類学教授・竹川大介
- 「通鯨祭」北九州市立大学人類学研究室野研・伊藤圭吾・鎌田隼人
上黒丸 北山 鯨組 2017:鯨談義後編
「理想を生きる芸術」福住廉 著
監修:北川フラム /奥能登国際芸術祭実行委員会
発行:現代企画室 2018/3/30
【上黒丸 北山 鯨組 2017 作品Q&A】(展覧会場スタッフからの質問に答えて)
Q:なぜ、ボラまち櫓を建造するのか?
A:まず、はじめに、奥能登芸術祭で発表の自作は、奥能登内浦の穴水に伝わる伝統漁法の民俗資料であるボラまち櫓だけを作品として設置するのではありません。
2005年から継続してフィールドワークと共に発表してきた作品を振り返ってみると、現代のお金の文化(マネー資本主義)へ対抗する生き方として「資本=人間の創造的能力」を大きな自然相手に伝統的生業が実践・継承されてきた現場でした。フィールドワークのなかで聞き取り・対話し、考え・実感してきたことは、場所を生きるリアリティーでした。そのことを芸術の社会性の視点から考えたとき、伝統的生業の継承を美化された造形表現として訴えるというのではなく、その場所を生きる人たちとの協同で再生のイメージとして作品にできないだろうかと思いました。2014年から上黒丸アートプロジェクトでも実践しているアクションですが、これからの発表でも継続展開していきます。この場所に古くから継承されてきた伝統文化や民俗資料を引用して造形した作品空間の中で、鑑賞者及び参加・協力者との対話(車座談義)を交え、良いところ悪いところを教えていただきながら、生活してきた場所を新たな方法で生き直す方法を楽しみながら探るための芸術実践を展開していきたいと思います。
現代のお金の文化は、縄文時代からの狩猟採集を主体とした物々交換の交易による生活から大きくかけ離れています。これは、経済の仕組みが進化してきた歴史的発展と考えるのが一般的かもしれません。しかし、複雑な社会の仕組みの中、多様な生き方が肯定される一方で、豊かさとは?人と人の関係性とは?など、疑問を持たざるを得ないような、生きる意味が見えにくくなっている現実も抱えています。そもそも、穀物などの備蓄可能な食物のための農耕文化は、国家統制の仕組み作りと共に現代のお金の文化の基礎となったとも考えられています。現代の土地の価値や国の豊かさも、その場所が生み出すお金の量で決まります。食物が生産される大地の面積が場所の価値、地域の豊かさを決定してきたと考えることも出来ます。お金の存在は、社会の仕組みを形作り変化させ、その加速度は増すばかりで、人間中心どころか、お金に人間が従わされている社会から抜け出せなくなっています。
そんな中、辺境の山野河海も、便利な都市生活を持続させる為の草刈場として、流通・通信・天然資源開発などで収奪されていくお金中心の文化が浸透していきました。それでも、辺境の山野河海の天然資源利用を正確に計り知ることは難しく、現代でも管理しにくい野生の場所として縄文的・狩猟採集的・物々交換交易の思考や技術・実践が継承され、その痕跡が多く残っているのも、この場所・奥能登であると考えています。制作拠点である北海道も日本の辺境であり「野生の思考」(ゲイリー・スナイダー著)が今も実践・継承される、そんな場所です。そのような場所こそ、破壊的な様相を見せる現代社会で生きる意味を見つけ出し、対抗する生き方を実践できると考えています。このようなイメージを持っている奥能登で、その場所に伝わる民俗資料や伝統的風習を造形素材として活用する表現が私の作品です。
奥能登では、昔から里海と里山の間で交流が盛んに行われてきた背景があるようです。海からは塩や魚介類、山からは米や野菜・果物、材木、薪炭燃料等、それぞれの産物を日常的に交換し合うのみならず、嫁取りや移住など、人と人が海と山を行き交う関係性に特徴的な形や物語が豊富にあると思いました。
昔話を調べてみると、座礁した鯨まで貴重なタンパク源として沿岸周辺の村落で分け合うだけではなく、山の村からも米を担いで交換に行く話が残っています。イルカなどは、山から海の間を一頭担いで帰れば、100人前の食事となるらしいのです。今でも、冬季には、塩や魚介類の塩漬や粉糠漬等の海産物加工品と米の物々交換があるそうです。隣り合う集落間で海山を行き来するそのような暮らしぶりから、山の野良仕事よりも漁師にあこがれて沿岸へ、その反対に漁師から農家へと移住する等が頻繁にみられるようです。また、半農・半漁は、伝統的な里海里山文化が狭い半島地形の奥能登で継承されてきたようで、この場所を生きることの特徴のようです。物々交換を当たり前のように継承してきた伝統的生活術が色濃く残っている場所です。奥能登の交換・交易文化の主役は、腐りやすい魚介類だと考えています。米穀類は、長期備蓄可能で腐らないので、お金と同じ価値があります。奥能登地域でも旨い米の産地で評判の上黒丸地域は、宝の米で周辺沿岸地域との交易が盛んに行われ、山奥の集落でも豊かな魚介類の買手だったはずです。
米俵に乗った田の神・大黒様と鯨に乗った恵比寿様が、奥能登最高峰の宝立山麓・上黒丸で出会うのが、この作品のイメージです。
Q:珠洲市若山町上黒丸地域の北山地区でボラまち櫓を作る目的は?
A:ボラまち櫓だけではなく、鯨漁など奥能登沿岸の様々な伝統的里海文化の民俗資料を素材として、これらを山へ上げる計画です。里海文化を素材として里山文化との交流を棚田の空間にコラージュするイメージです。
ボラまち櫓や木造伝馬船、大漁旗、鯨頭骨を素材とした造形作品を主体に、上黒丸最奥地区の北山集落の棚田の空間を使うインスタレーション作品として設えます。同時に、北山地区集会所(旧上黒丸小学校冬季分教所)では、里海里山の伝統的生業(山仕事、棚田の米作り、養蜂、定置網の鯨漁、塩田、炭焼、ボラまち櫓漁等々)の達人を招いた車座談義「鯨談義」を行う計画です。ボラまち櫓漁等の素朴な漁法は、沿岸定置網での鯨漁と同じように獲物と漁師の腕競べの末に授かる宝来のイメージを感じています。ボラまち櫓を休耕田に水を張って立ち上げるのも、恵比寿(漁撈の神)・大黒(米穀豊作の神)交流のイメージを構想した形として考えています。
Q:クジラと北山地区はどんな関係があるのですか?なぜ、山にボラまち櫓なのですか?
A:縄文時代から里山と海辺の集落では、産物も違い、近隣の真脇縄文人はイルカ漁をしていました。山手に住む人々は、山の幸と交換してきたはずです。上黒丸では、今でも輪島・舳倉島の海人達の行商も続いており、海の幸・山の幸が、物々交換されています。それを昔ながらのスタイルで再現したのが前回(9月10日のイベント)の「鯨談義」アクション(烏帽子・裃・袴姿の作者と赤褌を締めた若衆二人と共に櫓に登って口上と共に祝い唄を歌い、リヤカー行商の海人・女衆達の粉糠漬けと米の交換、その後の専門家による鯨文化の講話)です。海と山が、10キロ程度の距離ですので、千人前以上の大量の肉が捕れる鯨は、重要なタンパク源として捕鯨が盛んだった頃には、上黒丸どころか奥能登全域へと交易されたであろうと想像します。 今でも能登町・宇出津では、多いときは年間50頭ほど水揚げがあるそうで、市内・蛸島の漁港にも時々あげられるようです。
Q:なぜ、山にボラ待ち櫓か?
A:田んぼの形をよく眺めてください。畦を巡ると奥能登の形が見えてきます。先端の杉が、宝立山か狼煙の灯台に見立てられます。道路側は外浦です。内浦の穴水には丁度ボラ待ち櫓が、建っています。 つまり、この作品は能登半島をトレースする畔の形を利用し、奥能登の陸と海を反転させて北山地区の休耕田に再現したわけです。芸術祭のテーマでもある岬巡りは、北山で完結する空間構成にもなっています。奥能登の里山・里海の伝統的風景を重ねた造形としてみてほしいです。
Q:どこで獲れた、なんてクジラですか?
A:能登町の定置網で捕れたミンク鯨です。あの地域では、鯨を恵比寿様など、海の神様として祀っているようです。
Q:ハチミツはどんな意味があるのですか?
A:太古の人類が、洞窟生活していた頃からハチミツは、聖なる食物・滋養強壮や殺菌作用を持つ薬品として扱われてもおり、古代エジプトではミイラ造りの防腐剤として臓物等を保存したそうです。それからミツバチの働きはご存じの通り彼らにとっては巨大な巣(蜜蜂王国)への奉仕活動としてのハチミツ造りが、社会主義者達にも理想の姿に見えたようで、シンボルマークやエンブレムなどのデザインにも取り入れられています。つまり再生や復活・理想の村社会が生み出すあふれ滴る富の意味まで含んだ面白い作品素材です。単純には、とても高価な甘くて美味しい食べ物が、恵比寿鯨の供物に見えるとも想定しながら設えました。 北山集落の仲谷内邸から頂いた日本蜜蜂のはちみつをたっぷり贅沢に使っています。
Q:この場所、建物はなんですか?
A:北山集会所(旧上黒丸小学校冬季分教所)中の柱に昔学校だった面影が残っていますので、探してみてください。
Q:大漁旗はどこの旗ですか?
A:蛸島の港を利用する漁師さん達が北山に寄贈してくれた70旗の大漁旗です。 北山在住の堀田さんから組合長新谷栄作さんへの声がけのおかげです。
Q:クジラ絵はここにあったのですか?絵に写っている神社はどこですか?
A:鯨絵の写真は、能登町の二つの神社にある奉納額です。藤波地区の神目神社に3点と矢波地区・日吉神社の1点です。 そのうち、神目神社の1点は、能登町の郷土資料館に常設展示されています。県指定文化財です。これは江戸時代の作品です。他も同じ頃か幕末明治頃の物と思われます。
Q:鯨組ストーリーについて?
A:日本の伝統捕鯨を中心とした鯨文化アートリサーチから出発していますが、奥能登2市2町の外浦・内浦をアートリサーチし始めて3年間の間に上黒丸・北山の人たちと沿岸の漁師さん達と出会い、新たな里海・里山の交流が生まれ、作ってこれたのだと思っています。
質問者へのメッセージ
作品に関する質問について、使用している作品の素材そのものの持つ意味や使用機能、入手背景についての回答は、見て感じて考えるのには邪魔になる場合もあるかと思います。これらの答えが作品の全てを意味するものと単純に受け取られてしまう危険性もあります。作品と鑑賞者の深い関係が結ばれる可能性を妨げるかもしれません。自由な解釈や感受に立入すぎだと感じる、鑑賞者もいるかもしれません。 私としては、会場に掲示のテキストで十分だろうと考えています。作品はみるものですから、掲示テキストでも説明しすぎかな?と思っています。
10月22日の「鯨談義」後編では、里海・里山の生業を基にした交流とその継承・再生の方法について参加者とともに探っていきたいと思っています。北山地区の仲谷内さんのお宅を借りて行います。興味を持っていただける方々には、ぜひ参加をよろしくお願いします。
2017年9月(2024/03加筆修正)
上黒丸 北山 鯨組 2017:制作風景
制作ノート
夕方、ボラ待ち櫓の5本足すべてが立ち上がりました。
ミニバックフォーを自らの手のように動かせる職人技の長曽春夫さんはじめ、北山集落の皆さんや中野モータースさんのおかげで、久しぶりの高所作業でしたが、無事滑落することもなく終了できました。
あとは、片側の面に約60センチピッチで水平に約20本の梯子段を綺麗に縛り付け、仮足場を外し、天辺の漏斗形部分に櫓を造作しますが、8月にまた来ます。
奥能登2市(輪島・珠洲)・2町(能登・穴水)の里山と里海に継承される伝統的生活に関わることについて「鯨談義」アクションも交え空間造形していきます。
2014年からこれまで2回ほど開催してきた「鯨談義」では、輪島・舳倉島の海士・海女の衆が上黒丸に逗留し、リヤカーで海産物行商に来る話や能登町の定置網に混穫される鯨と鯨信仰、穴水のボラ待ち櫓漁など、海と山それぞれの里の特徴を生かしながら、お互いに必要な物を交換して生きてきた話題が続き、新たな交流も再生されていきます。昔はあたりまえだったことが今は途絶えていました。しかし、ここ、上黒丸では、鯨と米・塩、大量のイワシと農家でも使われなくなった莚(ムシロ)は船の甲板作業のすべり止めや生簀の蓋として使われ、粉糠漬け等の魚が米と交換されるなど、いろんな交流が起こり、里山・里海の交流が、「鯨談義」をきっかけに再生されています。
奥能登は、奥深く味わい深い場所です。
北前船の文化交流についても鯨モティーフから探っていきます。
展示は9月3日から始まります。
よろしくお願いします。
# 奥能登国際芸術祭
# アートスフィア上黒丸
# 上黒丸北山鯨組
2017年7月 Facebook投稿文より
上黒丸北山鯨組2017
制作協力いただいた方々
- 珠洲市若山町北山集落の皆様
- 珠洲市若山町 上黒丸くろみね会 各地区長様
- 珠洲市若山町 森井組様
- 珠洲市若山町 中野モータース様
- 珠洲市三崎町 酒井平吉(木造伝馬船寄贈)
- 珠洲市仁江町 皆戸昭利様(木造伝馬船寄贈)
- 穴水町 辻野六郎様(木造伝馬船寄贈)
- 穴水町 松村政揮様(ボラ待ち櫓制作指導)
- 能登町 辻口重秋様(鯨等の漁業知識提供等々)
- 能登町 中田洋助様(鯨等の漁業知識提供等々)
- 珠洲市蛸島 いか釣協会・前野美弥次様(珠洲の漁業文化知識提供)
- 珠洲市内の漁船船主の皆様(大漁旗70旗寄贈)
ここに、上げきれない、まだまだ多くの皆さんの協力でできあがりました。
心から感謝申し上げます。
2017/09/03:坂巻 正美
2023 ボラ待ち櫓の解体
「上黒丸 北山 鯨組 2017」ボラ待ち櫓解体
奥能登国際芸術祭2017で制作したボラ待ち櫓だが、2023年6月の北山町内会行事「ほたるの舞」にあわせ、町内会総出で解体作業をおこなった。
北山のみなさんとは、2014年の上黒丸アートプロジェクト「鯨談義」に始まり、もうじき10年間、毎年のように水田再生・田植え・稲刈り・餅まき・行雲流水上黒丸〇歩行アクション等々、この櫓周りで様々なお祭り騒ぎにお付き合いいただいた。
ロープのみで結束して組み上げた櫓だが、6年間の風雪に耐え、多少の経年劣化はあったが、一本20メートルの丸太解体後は、6尺程度に分割してホタル観賞地の柵や木道に再生されることとなった。
直会は、小家新宅の爺ちゃんの畑で取れた能登大納言小豆のお汁粉が、小家母ちゃんから振る舞われ、みんなで美味しくいただいた。
2023/07/02:珠洲市・上黒丸・北山
[This work was supported by JSPS KAKENHI Grant Number JP17K02345.]
Grant-in-Aid for Scientific Research(C)