けはいをきくこと・・・北方圏における森の思想(南限のチャシ1)
H:360cm×W:470cm×D:640cm
蜜蝋、ツキノワグマ頭骨、ガラス、灰、電球
2012年7月14日~12月24日 水と土の芸術祭/新潟
ポートフォリオ
2012夏の制作ノートより
場所の記憶を辿り、空間を造形する
「けはいをきくこと・・・北方圏における森の思想(ふるまいかた その2)」(2010発表、写真作品、高さ180cm)
連作「けはいをきくこと・・・北方圏における森の思想(南限のチャシより)」
連作「けはいをきくこと・・・北方圏における森の思想」新潟編のサブタイトルは、北海道と新潟の地理的な関係やその歴史性から、「南限のチャシより」としました。チャシは、アイヌ語で丘陵上の聖地、あるいは砦との説。会場に掲げた作品コメントは次の通りです。
「古の北方狩猟民は、高森チャシから渟足柵を眺めた。あ賀野の川はヤマト王権における北の国境線。
高森薬師には、近世、京都伝来の獅子神楽が舞う。地霊は北方の熊神を化現させたか。南限のチャシで神獣のけはいをきく。」
市内、二カ所の作品は、新潟市街地中心部近くの旧漁協倉庫と、阿賀野川を渡った市の北辺地区にある高森集落の丘に設えました。この丘には、樹齢千二百年の大欅があり、この木よりもさらに古い時代に中国から難破船が辿り着き、唐の僧、良元が薬師如来を丘の頂の御堂に安置したと伝えられています。今も薬師堂では、三百年前に京都から伝わった獅子神楽が舞われています。縄文時代の痕跡も残るこの丘は、仏教伝来史にも関わるような千年を超える昔から、変わらぬ信仰が続く聖地です。
縄文から弥生へ、さらに列島が北方へとヤマト王権の勢力で覆われていった時代に、北方支配の拠点として渟足柵が造られました。ヤマト王国の日本海側の国境線が、阿賀野川だった時代です。二カ所の作品設置場所の選定では、渟足柵の跡地有力説の新潟市内中心部近郊をそれに見立て、阿賀野川の北の畔にある高森の丘を北方狩猟民の南限の聖地と見立てました。高森の丘は、ヤマト王権側から見た場合、蝦夷の砦です。阿倍比羅夫の北海道遠征に関わる軍事施設・渟足柵との関係を思うと、新潟は北方世界との関係が深い場所です。
「けはいをきくこと・・・北方圏における森の思想(南限のチャシより)」
水と土の芸術祭(2012年7月14日~12月24日、新潟市)
森の思想を学ぶこと
狩猟民は、森や海、動植物を人間が占有するといった考え方を持ちません。その振る舞い方は、農業耕作地を領土として拡張して膨大な穀物を備蓄する巨大国家の構造に組み込まれることを回避する生き方だと、私は捉えています。大地を自分の身体とひと繋がりの存在として感覚して生きる人々の思想です。
そのことは、作品構想のために北方先住民を訪ねるフィールドワークで実感してきました。厳冬期のアムール川でナナイの氷下漁(写真1)を手伝ったり、サハリンでウィルタのトナカイ遊牧(写真2)のキャンプに滞在したり、カムチャッカのイテリメンやエベンの動物の舞、北米北西海岸のハイダやトリンギットの動物を彫刻した仮面やポールなど、先住民の伝統的な暮らしを探訪する中での出会いです。
「北方圏における森の思想」の連作は、制作拠点でもある北海道から出発し、北方圏各地の場所の歴史性を巡るフィールドワークのドキュメントです。
東北地方のマタギ(写真3)や北海道のアイヌの狩猟文化(写真4)は、海を越えて北方先住民の伝統と共鳴しています。そこでは、初期の人類史まで遡ることのできる大いなる森の神話に出会います。今でも熊やトナカイ、鯨や狼などの動物を自分たちと共に生きる精霊として語る人々との出会いです。目の前の命を殺すことで、自身の命が明日まで繋がることを感覚して生きる人々との出会いから、私は古の森の思想を学んでいます。狩猟採集を生業とする人々は、命を頂くには与えてくれる側に対する贖いが必要であること、生と死の贈与と返礼によって大地・地球とひと繋がりの命として保たれていることを日常的に感覚している人間なのだと思えます。
[写真左]1.厳冬期のアムール川でナナイの氷下漁
[写真右]2.ウィルタのトナカイ遊牧(2010年8月ロシア・サハリン州)
作品テキスト「熊に生る」
近年の連作では、北方圏地域に古くから伝わる動物儀礼のクマにまつわる神話・伝承に着目した表現を展開しています。現在発表中の作品のテキスト(コラム)をご覧いただいて、制作ノートの紹介を終わります。
[写真左]3.東北地方のマタギのくま祭り(2005年5月山形県小国町小玉川集落)
[写真右]4.アイヌの狩猟文化
熊に生る
熊は、縄文列島の神獣である。近代まで、熊にまつわる魔除けなど、その力に肖る風習が、日本各地で見られたようだ。今でも自然と人間の関係をとりもつ山の神、あるいはその使者として東北・北海道、そしてユーラシアから北米大陸にかけ、北の森に暮らす狩猟民に尊崇されている。熊は、数万年前の洞窟壁画やそこで頭骨が祀られた痕跡からも、人類最古で最強の聖獣と言える。その神業は、半年近い北国の冬の間、巨体にもかかわらず、飲まず食わずの半睡状態で土の下の穴に籠もり、子を産み育て、春とともに復活・再生することだ。
古から熊が尊崇されてきたのは、闇や寒さをものともせずに払いのけてしまう生命力にある。「北越雪譜」には、雪山の遭難者が冬眠穴で熊と一緒に眠り、一冬を熊に助けられる話がある。熊が生息する北方圏には、熊と人の結婚など、異なる地域で類似した熊物語がある。マタギ達は、熊をシシと呼ぶ。熊は、北方の獅子神なのである。
縄文時代の土偶に、熊型がある。古の熊踊りの面影か、東北の獅子神楽に熊の姿が映る。岩手の早池峰神楽は、黒い獅子頭で鼻も長く耳が立つ。獅子神楽の歯撃ち、頭食みや胎内潜りは、人が獅子に食べられ、獅子の腹から生まれ変わり、邪気を祓う再生の儀式だ。同じような思想が、北米北西海岸先住民のトーテムポールにも刻まれている。アイヌや北方先住民が熊の毛皮や頭骨を祀るのも、そこに熊の力が宿るからである。
マタギは沢筋や尾根を巡り、熊を授かると山の神に祈る。毛皮は服になり、肉は勢力がつく魔法の食べ物となる。そして骨や臓器を万能薬として珍重してきた。狩猟民は、山・川・海を越えて流域が天と地を結び、生命全体が滞りなく循環することに、創造力を働かせてきた。こうして、狩猟採集の生業から継承されてきた叡智を流域の思想と呼ぶことにする。
この思想は、人間だけが領土・領域を占有して天然資源や穀物を備蓄するお金中心の社会構造に対抗する。熊を巡る狩猟採集の思想は、大地を占有するという発想を持たない、大地に身をゆだねる熊のふるまいだ。水が天地を巡るごとく、自身の身体の遠くにあって目の前に見えていない全ての命とのつながりを感じ取るふるまいかたこそが、どこへでも浸透して流れていく流域の思想なのだ。
熊に喰われ、熊に生り、熊の力を授かり、熊のごとくふるまえ。このお面は、古の森を巡る流域の思想を現代に再生する神器だ。熊に生って踊れ。
「水と土の芸術祭」(2012年7月14日~12月24日、新潟市)坂巻作品テキストより。
[写真左]「けはいをきくこと・・・北方圏における森の思想(南限のチャシより)」水辺編(作品素材:蜜蝋、ツキノワグマ頭骨、ガラス、灰、電球)
[写真右]「けはいをきくこと・・・北方圏における森の思想(南限のチャシより)」本編(作品素材:ヒグマ頭骨レプリカ、ガラス、鉄筋、貯水槽)
[This work was supported by JSPS KAKENHI Grant Number 20520103.]
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